History
吸坂町での飴づくりが始まったとされる時期。吸坂焼の窯火で炊いた飴が起源という説も有力。城下町・大聖寺と加賀温泉郷をつなぐ街道沿いの茶店で旅人に振る舞われる。
大聖寺藩10万石の城下町として繁栄。吸坂飴は藩内で行商の特権を与えられるほど認められた特産品に。一村で20軒余りの家が製造に携わり、旅人の栄養食・滋養食として広く親しまれる。
全盛期。吸坂町のメインストリートに27〜30軒もの飴屋が軒を連ねる。地元の日常菓子として、また産後・育児の滋養食として広く愛用される。
洋菓子・砂糖菓子の普及とともに飴屋が急減。手間のかかる伝統的な米麦芽飴は採算が厳しくなり、廃業が相次ぐ。
ついに残る製造元が谷口製飴所1軒のみとなる。約380年続いた吸坂飴の文化が消えるかもしれないという危機感が高まる。
加賀市山中温泉を拠点とする株式会社辻酒販が事業を承継。長谷部神社近くに製造体験も楽しめる新工場を建設し、次の380年へつなぐ。